222.三位一体の改革、第2幕の行方 |
話が少しさかのぼりますが、経済財政諮問会議の2004年度の骨太方針として、「三位一体の改革」として文字通り「一体」的にやるはずでしたが、国家財政の立て直しを画策する財務省が歳出削減の一環として地方交付税交付金の削減を2003年末に打ち出し、改革がバラバラに進み出したことから、知事会は、このままでは地方財政が破綻するとの危機感を抱き、結束を固めます。さらに、各省庁の抵抗が強くて、補助金改革ができないと考えた小泉首相は、得意の「丸投げ」で全国知事会に検討を依頼し、知事会は、国からの補助金を3.2兆円減らし、かわって3.0兆円の財源を地方に移す、とする国庫補助金削減案を2004年8月19日に採決しました。いらない補助金約160を積み上げ、知事会が経済財政諮問会議に案としてボールを投げ返したのです。
この後、中央省庁は、地方六団体 (全国知事会、全国都道府県議会議長会、全国市長会、全国市議会議長会、全国町村会、全国町村議会議長会) のうち、市町村長会などや、族議員を巻き込んで猛烈な攻勢に出て、結局巻き返してしまったことは、周知のとおりです。何やら、郵政民営化に続き、三位一体の改革も空中分解しそうな様相を呈してまいりました。ふたつとも国民の関心が低いのが致命的ですが、他に優先すべき案件が山積していることを国民は見抜いているのではないでしょうか。
受け狙いですから、発想は悪くない。
でも、詰めて考えないから、軽佻浮薄、軽薄単調。寸評で評価するのが、ちょうど身の丈にあった程度の中身。
三位一体で、国の仕事と財源を地方へ移すこと自体は別に悪くない(別に、よくもない。
問題は、「なぜ」、「何のために」委譲するのか・・・です。
総理にはその思想がない。「地方にできることは地方に」というスローガンだけ・・・(続く)
「教育」をいったいどうしていくのか根本の議論を一切詰めないまま、いきなり義務教育費国庫負担金を地方へ移そうといっても、それは本末転倒。だから、もめるんです。そういうことを議論する中央教育審議会の議論や教育基本法改正の動きとは全く無関係に、突然、義務教育費国庫負担金を削減し、地方へ財源委譲しようなんていっても、それはあまりに拙速すぎる。国として教育をどのようにしていくのか、どのようにかかわっていくのかいかないのか・・・なんなら教育も民営化しますか???既に民営化しているという見方もありますが、「責任」を含めて国が放棄するのかどうか・・・です。
つまりは、格好ばかりで、理念やビジョンがないのです。
三位一体改革の動きはそういうことと理解しています。
一方で、石井正弘岡山県知事のように、理念を持って三位一体改革に取り組んでいる知事もいます。彼は建設省官僚OBですけど、しっかりしたビジョンを持っています。
大仰な物言いをすれば、このようなネガティブな色分けは、まるで非国民扱い、魔女狩りのようなにおいを感じます。
世の中、いろんな人の立場や考え方があって、だからこそ議会制民主主義が必要とされるわけで、それぞれの自己主張をすること自体は非難すべきものではないのではないでしょうか。いろんな利害関係がある・・・ステークホルダーがいる。社会って、そういう多様性が前提にある。
何につけムードに流され、流行に染まりやすく、他人の意見に付和雷同し、価値観の多様性を認めない偏狭な日本人にとって、村八分的な行動様式が、遺伝子的に染み込んでいるのかも知れません。大げさですが「抵抗勢力」という言葉にそんなことを思います。