全国的にお盆ですのでゆるい話でも、と思ったのですが、相変わらず厳しい残暑が続いていますね。もう長いこと雨が降らない。庭木の葉が枯れ始めたので、あわてて水やりをしました。去年までエアコンのタイマーは午前2時でしたが、今年は午前3時にしました。それでも時々暑くて、5時頃汗をかいて目が覚めることがあります。日本の夏は亜熱帯気候に変わってしまったのでしょうか。
ところで、嫁に給料が減ったのだから新聞は2つもとるな、ひとつにしろと言われ、泣く泣く日経新聞をやめてしまいました。日経は昼休みに会社のを読んでいます。でも家で新聞整理の手間が省けた。日経のWプラン(新聞と電子版のセット)のうち、紙面購入のみやめて。嫁にはナイショで電子版は今までどおりパソコンで読んでいます。何のことはない、Wプランの月額5000円が4200円になっただけです。電子版の4200円は記事の内容にしては高い。どうせなら読売をやめたらよかったかな。ジャイアンツのことしか書いてないし、読むところがない。たいして役にも立たない資源ゴミだ。5~6年前に大学時代からとっていた朝日は紙面があまりにも朝鮮半島寄りなのでブチ切れてやめてしまった。もともと偏向していたが、第二次安倍政権になってからは、完全に反政府系になったらしいですね。もう読んでないけど。ただ、経済面は朝日のほうがしっかりしていた。スポーツ面も阪神タイガース中心だったし。まあ、すんだ話です。
さて、黒田日銀はインフレ目標を2%といって頑張っていますが、なぜ2%のインフレにしなくてはならないのでしょうか。もう20年以上デフレが続いていて、会社員の初任給は、この20年以上ほとんど上がっていないし、給料も増えていませんが、誰も文句を言う人がいない。おかしな国です。まあ、その分、物価も上がっていないから庶民は困らない。そもそも2%のインフレは迷惑な話ではないでしょうか。
インフレの思い出といえば、小学生の頃、散髪代がしょっちゅう上がっていたように思います。強烈に印象に残っているのは中学時代ですね。中学の頃、ワンマンバスが20円だった。学校は給食がなくて、弁当持参か学校でパンを買っていたが、そのパンの値段が1個20円だった。母親にパンを3個買うから、と言って60円もらい、40円分だけパンを買い、20円浮かせてバスに乗って帰っていた。自転車通学がギリギリアウトの距離だったので、荷物が重くて歩くのがしんどかった。そのバス代が30円になり、すぐに40円になった。もうバスにも乗れなくなったなあ、と寂しい思いをしたのを覚えています。物価もどんどん上がっていたが、バス会社のストは年中行事だった。子供だったので生活費に困るようなことはなかったけど、値上げというのは恐ろしいものだと思いました。高校の頃、オイルショック、ペーパーショックなどがあって狂乱物価に突入していくわけですが、それが少しおさまってからも物価は年率5%とか10%とか上がり続けた。大学時代、自炊をしていたが、食料品の値段が上がっていくのは本当に苦しかった。まあ、昭和21年のハイパーインフレに比べれば全然たいしたことない。
思い出話が長くなりましたが、昭和30年代前半生まれの同世代の人には同じような経験があるのではないでしょうか。この約20年間で物価は上がらない、という感覚がすっかり染みついてしまいましたが、給料も上がらないし、金利もゼロなんだから、物価も上がらなくていい。いや逆か、物価が上がらないから金利がゼロなのか。まあ、どっちでもいい。いずれ会社もやめて隠居生活に入っていく。年金が増えないのに物価だけ上がるというのは困る。今、物価が上がらないのは、給料を上げろという人がいなくなったからではないか、と思っています。もうかった分、会社は株主配当を増やし、内部留保を増やし、借り入れ金を返済している。経営者は従業員の給料のことなど考えていない。従業員は文句を言わないから。(長くなったので明日に続きます)