1562.韓国がかき回す11月になる |
10月は厄災の月でした。台風災害が相次ぎ、10月最終日の朝には、世界遺産にも登録されている首里城の正殿ほか重要部分が焼失してしまうというショッキングな出来事もありました。まったく、なんて月だ。10月はほぼ全国的に記録に残る気温の高い月で異常づくしでした。11月になって急激に気温が平年並みに戻り、朝晩の冷え込みが身にしみるようになりました。
11月はいくつかの波乱が予想されています。まず近くではGSOMIAの期限が22日であることから、米国が韓国に圧力をかけています。破棄してしまえば、米国は韓国に対して制裁を加えるのではないか、と一部の言論人が述べています。勘違いした韓国は破棄しない見返りを日本に求めてこないとも限りません。それから半島の募集工の裁判で差し押さえられている日本企業の資産が早ければ11月にも現金化される可能性がある。差し押さえから、1年以上が経過しますので、いつ現金化されてもおかしくはない。
来年、2月ではないか、という声もあるようです。韓国側も日本の制裁を恐れて躊躇しているのかもしれない。要するに、ムンはおのれの支持率を横目でにらんでいるのだ。韓国側が現金化すれば、日本も韓国に対して対抗措置に踏み切らざるを得なくなる。最悪、日韓断交という声もありますが、そこまでは いかないのではないか。日本はだんだん慎重になってきているように思える。反日不買運動などに腰が引けて、国内世論が軟化してきている。もちろん、サヨクメディアの報道も大きい。日本と韓国の国力の差は圧倒的です。世界の世論は常に弱い国に同情的だ。しかも来年は東京オリンピックがある。韓国にボイコットされればイメージダウンが大きい。
いろいろ調べてみると、大東亜戦争後に欧米列強はアジアの植民地を次々に手放したが、植民地支配に対してお詫びとか金銭賠償した国というのは聞いたことがない。日本は敗戦国になったために、半島に残した公共財を放棄し、民間人も身ひとつで命からがら日本に帰ってきた。放棄した金額は1965年の基本協定の賠償額21億ドル(当時の韓国の国家予算の3年分に相当)の数十倍にものぼるともいわれています。半島人の募集工についても終戦間際になると賃金が支払われなくなった、ということもあったかもしれない。日本国内の工場が爆撃され、焼け野原になってしまえば払うものも払えない。気の毒な面もあるが、日本はそれどころでなかった。だから1965年の協定がある。言い尽くされていますが、差し押さえ資産の現金化は、これに違反する。ひいては1952年のサンフランシスコ講和条約上も問題だ。
最後に、産経新聞野口裕之氏の記事から一部を引用し、結びとします。こういう史実は日本も歴史教育できちんと教えなければなりません。真実が風化してしまいます。
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朝鮮民族は、大東亜戦争中から今に至るまで「連合国」を気取ってきたが、近代に入り日本と朝鮮は本格的に戈を交えてはおらぬ。戦前~戦中~戦後と、まともな対日ゲリラ抗戦も民族蜂起も起きていない。むしろ、1910年に併合された朝鮮は枢軸国・大日本帝國として戦った。国際法上も実態上も連合国詐称は無理スジだ。(中略) 韓国の初代大統領・李承晩は長崎県・対馬の「返還」要求と抱き合わせで、領土も画定する「サンフランシスコ講和条約署名国の資格がある」と1949年、米国に訴えた。
戦勝国=連合国入りさせろ、とゴネたのだ。韓国は在日朝鮮人の連合国民扱い=賠償を求めるなど、国際の法・常識を無視する数多の無理難題を吹っ掛けたが、日本は無論、米国もほぼのめぬ内容だった。米国は無理難題を押さえ込むべく、韓国の署名要求を預かり、条約草案で一旦は締結国リストに加えた。(中略)結局、韓国が得たのは在朝鮮半島の日本資産移管のみ。講和会議へのオブザーバー参加も拒絶された。(中略)国際社会に連合国資格を一蹴されても、韓国は歴史の粉飾・捏造に耽った。(中略)
戦後も米国は、朝鮮を国家でなく日本だったと公認。日本の統治権を取り上げ直接軍政を敷き、光復軍も武装解除した。米国は38度線以北に陣取るソ連軍をにらみ、(1)統治能力欠如、(2)度し難い自己主張や激高しやすい民族性、(3)偏狭な民族主義や共産主義の跋扈…など、信頼性を欠く韓国に国家権能を与えたくなかったのだ。(以下略)
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(以上、「野口裕之の軍事情勢」より引用)
https://www.sankei.com/premium/news/150817/prm1508170013-n1.html
併合は現在の思想的には悪かもしれないけど、当時の地政学的には多分ラッキーだった。