橋下徹から新総理への提言「なぜ日本は“国家の機能不全”に陥っているのか?」と題するインタビュー記事が「文藝春秋」2020年10月号に掲載されたとして、その要旨が、9/15にネット情報で発信されています。
私は、①地方分権の推進、②憲法改正、の2点で維新の会を支援(支持ではない)していることは以前、書きました。②については、自民、維新、国民民主が賛成しているが、国民的議論には発展していかない。自衛隊の議論、9条から入っていくと「戦争反対」という意見が国民の半数程度いて、思考停止してしまい、左翼野党らの妨害もあり議論がそれ以上進まない。しかし、自衛隊がもしなかったら、軍事力世界第6位の韓国あたりに簡単に占領されてしまうだろう。(1位は米国、2位はロシア、3位は中国、4位はインド、5位は日本)今、極東の仮想敵国は少なく見積もっても、北朝鮮、中国、ロシア、韓国。日本は仮想敵国に囲まれているのだ。国防のための軍備は必要である。この議論は長くなるので、また別の機会にします。
改憲の議論は、第八章 地方自治から始めてはどうでしょうか。この章はたった4条の条文しかありません。地方と国の役割をここでキッチリ決めるべきです。橋下徹氏は、コロナ対応がきっかけとなって、国と地方の役割分担、権限と責任の所在が明確でないことがわかった。そのために「機能不全」が起きていた、と述べています。
なぜそうなったかというと、それを明文化した法律がないからです。従って、それは憲法の第八章にきっちり書くしかない。憲法改正のスタートは第八章から議論すべきではないでしょうか。
橋下氏は、国家の動かし方は基本的に2つの方法しかないと述べています。以下、文藝春秋のネット記事からの引用です。「1つ目は、中央集権型。国家全体を巨大なタンカーと見立てて、政府が権限と責任を全て持った上で、そのタンカーを操縦していくというもの。2つ目は、地方分権型。権限と責任を各自治体に振り分け、現場に操縦を任せるというものです。
本来はこの2つの方法を上手く組み合わせるべきなのですが、その際に政府がやるべきことと、現場の長に任せるべきことが、きちんと整理されていなければなりません。しかし今は、その役割分担を明確にせず、政府と地方というドライバーが2人同時に運転席に座って、それぞれが勝手にアクセルとブレーキを操作している。だから、国家の動かし方がチグハグになっているんです」
橋下氏は今回のコロナ対応について述べているが、本来もっと早くに議論すべき問題だった。コロナ禍で問題点が浮き彫りになったのだ。今後、東日本大震災を上回る範囲での震災や戦争だって起きるかもしれない。そうなった時に、また今回のようなことをしていては、混迷が深まるばかりだ。
今の日本の国は、明治の革命で長州人のテロリスト大久保利通が作った太政官政府からの発展型である、中央集権政府で動いている。都道府県に一部の権限が委譲はされているが、すべて中央政府のコントロール下にある。日本国憲法ではそうとしか読めないし、中央官僚は既得権限を手放そうとしない。以前、地方分権の必要性については何度か書いた。私は、もはや道州制の議論など無用だと思っている。かつて、10近い分割案が出たが、絵に描いた餅にすらならなかった。絶対に議論はまとまらないと断言できる。そもそも道州への分割は、中央の権限を保全するための方便だし、詳しい理由は以前書いた。47都道府県のまま地方分権に移行すれば良い。鳥取と島根みたいに人口が少なすぎて独立できないところは地方で話し合って合併するなり決めればよいのではないか。
国の地方ブロック機関も不要だ。国の役割は最低限、国防と外交と通貨の発行、この3つで十分だ。あとは、地方に好きなようにやらせてみて、これはまずいよね、というところがあれば、国が役割を一部補完してやればいい。アメリカ合衆国には50の州がある。日本は47だ。米国より少ない。日本の地方分権は合衆国制でいい。例えば国民健康保険と協会健保は都道府県単位なのだ。年金は分けられないが、教育などは各都道府県で考えればいい。言っておくが、地方の上級公務員は国家公務員よりよほど優秀なのだ。大企業が少ない県ほど優秀な人材は県庁に集まる。地方を見下すような今の考え方はやめた方がいい。
これで、憲法改正と地方分権はセットでうまくいく。菅政権にできるとは全然思っていないが、河野太郎とか小泉進次郎あたりなら、中央集権を壊すことができるかもしれない。ハッキリ言って、今の国の財政問題を解決するには、大インフレにするのでなければ、全額日銀に引き受けさせ、リセットしてから再スタートするしかないと思う。